「ヤシガニ」をご存知でしょうか?
テレビなどのメディアでもときどき取り上げられるので、写真や映像で見たことがある人も少なくないかもしれません。
カニでやエビに少しずつ似ているけれど、でもどちらでもない、とても奇妙な形をした生き物です。
ヤシガニ…ヤシガニって何だ?
いかにも海の中にいそうな形をしていますが、さにあらず。成長すると海水にも淡水にも入ることはなく、森の落ち葉の上をのしのしと歩き回ります。
体はがんじょうな殻に覆われ、非常にがっしりしています。
甲はヘルメットのような形をしていますが、よく見ると上の写真のように、左右に分かれています。はさみや脚は硬いですが、甲の部分はふつうのカニのようにカッチカチな硬さではなく、硬めのソフトビニール人形のような手ざわり。
脚は5対(片側5本の計10本)あり、いちばん前の脚は強大なはさみ(鉗脚)になっています。
そしてよく見ると、実は一番後ろの脚も小さなはさみになっています。
ヤシガニは何の仲間?
カニでもエビでもないような形をしたヤシガニは、実はヤドカリ、それも「オカヤドカリ」に非常に近い生き物です。
ミトコンドリアの遺伝子領域の再配列順序でみたカニ・カニダマシ・ヤドカリ類の系統関係(ML法による系統樹).Morrison et al, 2001を改
エビ目ヤドカリ下目(異尾下目)、つまり「いわゆるヤドカリ」の中でもとりわけ陸上に適応したのがオカヤドカリの仲間で、その中でも進化の過程で貝殻を背負うことをやめてしまった変わり者がヤシガニ、と言えそうです。
こう見るとオカヤドカリっぽいですね
ちなみにオカヤドカリは亜熱帯〜熱帯にかけて分布するヤドカリで、名前のとおり陸上で暮らしています。
ヤドカリ類のしっぽ(腹部)はやわらかく、巻き貝のら線形にあわせて「くるん」と巻いているものがほとんどです。
ところが殻を背負うことをやめてしまったヤシガニは腹部をお腹の下に折りたたむような形で保護しており、さらに腹部は上半分が殻で覆われています。
一方、腹部の下半分、内側に折りたたまれいる部分(上の写真の◯の部分)は実はぷにぷにと柔らかいのです。
が、ここは強力なハサミのリーチ内なので、さわってみようかな、なんて気は起こさないこと!!
ヤシガニもオカヤドカリもエラ呼吸
ヤシガニやオカヤドカリはエラを持っていて、そのえらを常に水でしめらせ、空気に触れさせることで水に溶けこんだ酸素を取り入れて呼吸しています。
この仕組みのおかげで、空気中で呼吸することができるのです。
ヤシガニの場合、陸上生活への適応が進んだ結果、えらが水で満たされてしまうと十分な酸素が得られず、水の中に長時間いると溺れ死んでしまうようです。
ヤシガニの大きさは?
ヤシガニがもうひとつ他のオカヤドカリの仲間と違う点は、そのサイズです。ちなみに上の写真はごく小型の個体です。
では大きいのはどのくらいか?
はい、どーん!
この個体で体長20cm、体重2kgほどでしょうか。
これでも最大級にはまだ遠く、最大で4kgほどになる、いやもっと大きくなるのでは?と言われています※1
また、かなり長寿であることが知られ、最近沖縄で行われた研究で、50年ほど生きるだろうということが分かっています(Oka et al, 2015)※2
写真の個体は、現在の筆者(32)より先輩である可能性も大ですね(笑)
※1 カニなどの甲殻類の仲間には、大きくなるにつれ成長はゆっくりになるものの、生きている限り脱皮を続け大きくなるものが少なくありません。なので、時折長生きした結果とんでもなく大きな個体が見つかることがあります。
※2 Oka S, Miyamoto K, Matsuzaki S, Sato T. Growth of the Coconut Crab, Birgus latro, at its Northernmost Range Estimated from Mark-Recapture Using Individual Identification Based on Carapace Grooving Patterns. Zoolog Sci. 2015 Jun;32(3):260-5. doi: 10.2108/zs150008.
…こんなサイズのヤシガニ、夜の森の中でいきなり会ったらちょっとビビリますよね?
ヤシガニは、陸上生活をする節足動物(昆虫やクモ、ムカデ、カニなど)としては、間違いなく地球上最大(重さ)の種です。
この「大きさ」は、身を守るのにも役立っていると考えられます。
特に1kgを超えるような大きさに成長してしまえば、自然界にヤシガニをおびやかせるような生物はそうそういません。…人間を除いてですが。
ヤシガニは、貝がらを捨てて大きくなるという進化の道を選んだのでしょうか。あるいは、大きくなりすぎた結果、貝がらを背負えなくなったのでしょうか。答えはヤシガニ自身も知らないかもしれません。
ヤシガニは木を登る??
次はヤシガニの行動や生活史について。
ヤシガニは英語でもcoconut clab(つまり椰子蟹)と呼ばれます。
ヤシの木に登って、実を落として食べる…という話が昔から都市伝説的に語られていますが、これは真実ではない模様。
ですが、木登りが大変うまいのは事実です。
脚でがっしりと木の幹をつかみつつ、ビックリするほどスルスルと木に登ることができます。
巨大な個体でも、この通り。ちなみに後ろ向きで登ることもできます。
オーバーハングした岩もこの通り
また、ココヤシの実を食べるのも事実のようです。(沖縄にはもともとココヤシは分布していないので、実際に食っているのを見たことはありません)
基本的に動物性のものも植物性のものも食べる雑食です。ほかにもアダンの実などが好物で、アダンに関しては地面に落ちたものだけではなく木に登ってなっている実を食べたりもするようです。
余談ですが、アダンの実は完熟すれば人間も食べることができます。味は「あんまりおいしくないカキ」という感じ。熟れていないと激渋だし、熟れるとあっという間に大量の虫がたかるので、タイミングが難しいです。
ヤシガニにはさまれるとどうなる?
ヤシガニを有名にしたものの一つが、ヤシガニの「はさむ力」の強さです。
ハサミ状になったヤシガニの第一脚
これまでも「凄い力だ」とは言われてきましたが、最近、ヤシガニの「はさむ力」を本格的に計測した研究が行われました(Oka et al, 2016)※3
※3 Oka S, Tomita T, Miyamoto K. A Mighty Claw: Pinching Force of the Coconut Crab, the Largest Terrestrial Crustacean. PLOS ONE. 2016 Nov. doi:10.1371
この研究によれば、これまでに計測された最大の力は2キロ超の個体の1765N(ニュートン)。最大級の個体ではその力は3000Nを超えるのではないかと言われ、これはライオンのかむ力に匹敵するのではないかと考えられています。
人間の指の骨などは本当に簡単に砕いてしまうくらいの力なので、くれぐれもはさまれないように注意が必要です。
ちなみに写真は、ヤシガニの大型個体を見つけて一緒に写真を撮ろうとしたところ、服をつかまれ、ものすごい力でたぐり寄せられてビビっている筆者。
この後、シャツを脱いで危機を脱しました。
その後、シャツをつかんだまま後退して逃げようとするので取り返そうとしましたが、なんと体重70kgのこちらが引きずられます(笑)(上の論文によると、大型の個体は30kgの物体を持ち上げる力があるそうです)
ヤシガニがあきらめて放してくれるのを待って、なんとかシャツは取り返しました。
ヤシガニは食べないほうがいい?
ヤシガニと言えば、とにかく「珍しい食材」としての情報がクローズアップされます。
でも、はじめに言っときます。今後、ヤシガニは食べるのはなるべく止めておきましょう。理由は2つほどあります。
理由①:とても希少
すでに書いたように、ヤシガニは自然界では天敵の少ない、かつ長生きな動物です。
つまり、たとえたくさんいるように見えても、「長生きで死なないからたくさんいる」のであって、捕まえて食べてしまえばあっという間に減ってしまうのです。
このような動物は、他の魚などのように人が「資源」として利用するの向きません。
養殖するとしても、あまりに成長が遅いという問題があります。食べられるくらいのサイズ(殻がたいへん厚くあまり身が入っていないので、体重500gくらい必要)になるのに、オスで10年以上、メスは25年かかると考えられています。養殖の方法が確立したとしても、とても商売としてやっていけなさそうですね。
さらに、ヤシガニが生息することのできる環境は年々減り続けています。とくに沖縄本島では、一時期絶滅したのではないかとさえ言われていました。
現在では生息地が何ヶ所か確認されていますが、環境省のレッドリストでも絶滅危惧II類(VU)に指定されており、絶滅のおそれがあることに変わりありません。
生息にはこんな感じの環境と、大小の洞窟とがセットで必要
各島でも減り続けており、多良間島ではようやく繁殖期の個体の捕獲を禁止する罰則付きの条例が制定されました。
テレビや観光雑誌などでグルメ食材として取り上げられることがありますが、観光で来た人が食べるほど数がいるような生き物ではないことは確かです。
文化としてヤシガニを食べるという地域もありますが、これも人口密度の低い地域で、ごくたまに獲って食べる…というくらいでないと、とうてい成立しないものです。
不幸なのは、沖縄県内でこの事実があまり知られておらず、「ヤシガニ」というと食べることを連想してしまう県民がいまだに多いことです。
ヤシガニにかぎらず、逆に希少性を売りにして高い値段で提供する…という商売をごくたまに見かけますが、これはもう論外ですね。
理由②:食中毒のリスク
ヤシガニ自身は毒を作りませんが、さまざまなものを食べるヤシガニは、食べたものによっては猛毒を持つことが知られ、死亡例もあります。
ハスノハギリという木の実がその原因になっているという説もあるものの、まだはっきりしたことは分かっていません。
ハスノハギリはこんな葉を持つ樹
一部地域では、毒のある個体は茹でたときの色で判断できると信じられていますが、科学的根拠は全くなく、明らかな迷信です。
(他のエビやカニの仲間と同じで、加熱によってタンパク質と結びついていたアスタキサンチンが分離して赤系の色に発色するため、茹でると必ず赤くなります)
ヤシガニと沖縄文化
沖縄にはかつてヤシガニを食用としていた地域がある一方、ヤシガニを「死者の魂をあの世に送る存在」として、決して食用にしなかった地域もあるようです。
かつて奄美・琉球では死者の遺体を洞窟に安置して白骨化させる「風葬」が一般的でしたが、この風葬の期間、遺体の肉を食べてきれいに取り去ってくれる代表的な生物が、ヤシガニやオカヤドカリだったということです。
洞窟内のヤシガニ
さすがにご遺体の肉を食べた(かもしれない)生き物を食べるというのは抵抗があるようで、どうもそのような言い伝えが色濃く残っている島や地域では、ヤシガニも比較的多く残っているようです。
どこに行けばヤシガニに会えるの?
上記のように沖縄県内ではヤシガニを見つければ捕まえて食べようとする人がまだ多く、残念ながらヤシガニが残っている地域について、一切具体的な情報を公開することはできません。
SNSなどに上がっている写真のGPS情報から簡単に場所を特定される時代ですので、ヤシガニを見つけても安易にスマフォで撮った写真をアップしないよう、お願いいたします。
ヤシガニは海岸に近い森に生息しています。ふだんは海からかなり離れたところにも住んでいますが、産卵の季節になると海に下り、腹に抱えた卵を海水に浸けます。すると、その刺激で卵からヤシガニの幼生がふ化して海の中へ飛び出していきます。
しばらくプランクトンとして育った幼生は、はじめオカヤドカリそっくりな形になり、貝がらを背負って上陸してきます。そしてしばらく成長するうちに貝がらを捨て、親と同じような生活スタイルに落ち着きます。
オカヤドカリとヤシガニ幼生の見分け方ですが、オカヤドカリは貝がらにこもるときにハサミと脚を使い、自分が入っている貝がらにフタをすることができます。
たとえ小さい個体でも、こんな風に脚とハサミを使ってフタができるのがオカヤドカリ
多少はみ出ることはありますが、とにかくハサミや脚を組み合わせてピッチリ隙間を塞ぐことができるのがオカヤドカリです。
これに対して、貝がらを背負っている時期のヤシガニは、貝がらにこもっても隙間だらけで、オカヤドカリほどうまく入り口を塞ぐことができないそうです。
ヤシガニはペットとして飼える?
正直なところ、筆者もヤシガニを飼ってみたいと思ったことが何度か…いや何度もあります。ただ、ヤシガニを長期飼育するのは大変難しいそうです。
ヤシガニに限らずオカヤドカリもですが、雑食性の生物の飼育は餌の栄養バランスがものすごく難しく、人間の与える餌では栄養に偏りが生じてなかなかうまく飼育できません。
また、適度な湿度があってなおかつ風通しがないと脱皮不全などで死にやすく、そのあたりのコントロールも非常に難しいようです。
オカヤドカリは数年生かした、という話をたまに聞きますが、オカヤドカリも20年くらいは生きると考えられているので、健康な状態で長生きできているかは疑問です。
プラケースなどに入れて数日飼うというのだと、プラケースを破壊して脱走する可能性が大です。また、水分が足りなかったり熱がこもる場所に置いていたりすると簡単に死んでしまいます。
もし見つけても、長生きさせる自信がないならその場で観察して逃がすのが最良です。
まとめ
ヤシガニはオカヤドカリの仲間
ヤシガニにはさまれると超危険
ヤシガニは数が減っており、成長も遅いため、食べるべきではない
ヤシガニは学術的に興味深いのはもちろん、なにより出会って非常に楽しい生き物です。
こんな生き物、子どもたちが見つけたら大はしゃぎなのは容易に想像できると思います。
美味しいという話も聞きますが、その「食体験」は、この先何十年もそのヤシガニが地元の子どもたちを楽しませる可能性を奪ってまで得るものでしょうか。
野生の生き物を捕まえて食べるというのは必ずしも悪ではありませんし、うまくやれば人が自然に依って生きていることを再認識素晴らしい体験にもなり得ます。
ただ、ヤシガニはそれをするにはあまりに成長の遅い生き物で、また今ではあまりに数が少なくなりすぎました。
せっかくお互いに生き物としては長寿なのですから、もしヤシガニに出会っても、「10年後また会おうな!」と言ってそっと逃してあげましょう…!
★生き物を探したり観察したり、生態系や環境について学んだりするツアーを行っております。
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